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野間神社(のまじんじゃ)は、鹿児島県南さつま市にある神社。旧名は野間権現。旧社格は村社。 野間岳の八合目に鎮座する。瓊瓊杵尊・鹿葦津姫命・火蘭降尊・彦火々出見尊・火照尊を祀る。 == 沿革 == 創始の年代は不明であるが、社記によれば野間岳は瓊々杵尊が最初に上陸した地であり、山腹に神代の都「笠狭宮」があったとされる〔天本孝志 『九州の山と伝説 総集編』 PP.260、葦書房、1983年〕。標高591mの小山ながら古くから山岳信仰の対象となっており、海上から目立つ山容のため特に航海者からの信仰が厚かった。 当初は野間岳の山頂に「東宮」と「西宮」の2つの本殿があり、東宮には瓊瓊杵尊・鹿葦津姫命を、西宮には火蘭降尊・彦火々出見尊・火照尊を祀っていた。しかし、その後西宮では「娘媽」「順風耳」「千里眼」という神がまつられるようになった。この3柱の神は中国沿岸部の祠でよくまつられる神であり、この地域と中国とのつながりが伺える構成となっている。 島津忠良はこの神社を崇敬し、天文23年に東宮を再建し永禄10年には息子・島津貴久、孫・島津義久連名で西宮を再建した。しかし、地理的に台風被害の多い土地であり、その社殿が崩壊したため、文政13年には島津斉興が現在地の八合目に、東宮と西宮を統合した1つの社殿として再建した。その社殿も被害を受け、現在の社殿は昭和51年に前社殿の痛みが激しいためコンクリートで作り替えられた物である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野間神社 (南さつま市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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